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MORIKOUGEIの物語

この記事は海外のお客様からのインタビューを日本語に編集した内容です。

徳島で約70年の歴史を持つ木工所の3代目、森寛之さんにインタビューしました。

-まず、MORIKOUGEIの創業と設立の経緯を教えてください。

祖父の森政市が1953年に創業し、1970年6月に有限会社森工芸として法人化しました。 現在は、父である森賢一が社長を務めており、私は3代目にあたります。

 

-徳島の木工芸の歴史を教えてください。

徳島は古くから木工製品の産地として知られています。

徳島が木工品の産地として有名になった理由のひとつに、16世紀に徳島の水軍である「阿波水軍」が存在していたことが挙げられます。 水軍と木工の関係を想像するのはなかなか難しいかもしれませんね。 しかし、当時の海軍には優秀な船大工がたくさんいて、彼らは実に高い木工技術を持っていたのです。 引退した船員やその子孫がそれを継承し、やがて徳島は質の高い木工品の産地として有名になっていったのです。 珍しい外国産の木材を使った仏壇や化粧台などは、徳島の名産品として全国に知られていました。 

 

-徳島の木工品の特徴は何ですか?

最も特徴的な点は、分業制であることです。 鏡台や仏壇など、ほとんどの製品は1つの工場では作られていませんでした。 基本的に徳島の木工所(工房)は、3つに分かれています。基本的な形を作る「木地屋」、ツキ板を貼ることに特化した「貼り屋」。 塗装を担当するのが「塗装屋」です。

今は全工程を自社で製造する企業もありますが、他の木工産地に比べて分業化されていたことが特徴であったと聞いています。

昔の話にはなりますが、製造工程も特徴的で『組み立てた後にツキ板を貼る』という『後貼り』も徳島の特徴です。

今は工程が入れ替わり、『ツキ板を貼った材料を組み立てる』先貼りが主になっています。

-事業開始のきっかけは何だったのでしょうか?

祖父が木工を始めるのは、ある意味で自然なことでした。 というのも、祖父が拠点としていたのは、徳島市の木工職人さんが多い地域だったからです。

森工芸といえば「杢貼り屋」ですが、祖父は主に、組み立て済みの鏡台や仏壇のツキ板を貼る仕事をしていました。 家具に動物性接着剤(膠)を塗ってから、小さなアイロンでツキ板を貼るという作業です。

-現在も鏡台や仏壇にツキ板を貼るお仕事をされているのですか?

小さなアイロンでツキ板を貼るという作業は今はほとんど承っていません。 当社は1970年に「有限会社森工芸」という会社としてスタートし、1973年に大きなホットプレス機を導入しました。 当時、日本の産業界は機械化・大量生産の時代で、当社だけでなく日本のほとんどの産業がそうでした。 その後、当社の加工についてもホットプレスを使用した化粧合板加工に移行しました。

  

-化粧合板を使った製品の例を教えてください。

化粧合板は、主に木製品の表面材や内装材に使われていて、テーブル、キッチン、収納などの家具や建具によく使われています。 

-御社のホームページでツキ板の木の種類が86種類もあるのを見ました...!  木の種類の多さに驚きました。

当社では様々な種類の木材を取り扱っております。ツキ板は、木をスライスすることを専門とした技術者がいて、すでにスライスされた状態のツキ板を購入しています。

長年携わっているので、今はあまり流通しなくなった希少価値の高い木も大切に保管し、また、資源の有効活用という観点から、端材も無駄なく使用する事を心がけています。社長が工芸作品を作っていることもあり、どんな端材でも貴重な材料となりますので保管と管理は重要なんです。

-では、「Rays Tray」に黒檀、アッシュ、ホワイトシカモア、ホワイトアッシュ、ケヤキの5種類の木材を選んだ理由は何ですか?

『光線貼り」という貼り方はどんな木でもできますが、縮み(光沢)が特徴的であったり、木目が明瞭であったり、この貼り方で美しく見えると思う樹種を選んでいます。

 

-また、藍染めのトレイもとても美しいですね。 日本の伝統色なのでしょうか?

藍色は、何百年も前の武士や大名が愛した色です。 特に "かちいろ "と呼ばれる、非常に深くて濃い藍色は、"かち "の発音が "勝ち "と同じであることから、武士の間で人気がありました。 実は、藍色は一色ではなく、淡い色から濃い色まで48種類あると言われています。 また、藍色は庶民が着ることを許された数少ない明るい色でもありました。

-それはとても魅力的です。 藍染を商品に採用した理由はありますか?

私の故郷に関連したものを製品に採用したいと考え、その一つが藍染でした。 私たちのトレイは、化学薬品を使わずに天然素材だけで染める「発酵建て」という自然で伝統的な染色方法で染められています。

徳島県には、何世紀も受け継がれてきた藍の栽培と染色の歴史があります。1870年代に日本を訪れたイギリスの化学者、ロバート・ウィリアム・アトキンソン(1850-1929)は、その豊かな青色に感銘を受けたと言われていて、藍の色を「ジャパン・ブルー」と呼び、世界中に知られるようになりました。

ちなみに約150年後、2020年東京オリンピック・パラリンピックの公式エンブレムに採用されたのが藍色なんです。

- "光線貼り "について詳しく教えてください。

私の父、森賢一がこのパターンを考え『光線貼り』と称しています。

父は1960年代から、仕事の傍らツキ板を使ったアート作品を作っていました。

ある日、アイデアに行き詰まり、イライラして束ねたツキ板を放り投げたら、床に落ちて広がったツキ板が偶然にも美しい模様になっているのを発見し、それをヒントにして光線貼りのような貼り方が始まりました。

森賢一氏による作品

 

-面白い話ですね。 光線貼りの特徴は何ですか?

このトレイを持って傾けると、光の角度によって木の色が変わります。すると、中央から光線が出ているように見えるんです。この貼り方を『光線貼り』と呼ぶ由縁で、Rays Trayの一番の特徴にもなっています。

この模様は、三角形を使ったシンプルな幾何学模様の一種なので、昔からある一般的なデザインですよね。 しかし、父はこの模様を木で「描く」ことを始めたのです。 父は、この技法やツキ板を使った表現を世界で最初に考案したのは自分だと言っています(笑)。

それはさておき、MORIKOUGEIの「光線貼り」の工程はオリジナルで、製品化するためにアレンジしました。

 

- MORIKOUGEIの技術は脈々と受け継がれているのですね。

はい。 受け継いできた特徴的な技術は自社の強みであると考えていて、自社製品を開発したいと以前から思っていました。 そこで、光線貼りの製造方法や工程を独自に開発し、「Rays Tray」の商品化に成功しました。 2020年のメゾン・エ・オブジェ(パリ)で、このトレイを初めて紹介しましたが、多くのお客様がこの商品に興味を持ってくださったことをとても嬉しく思っています。 

一般的な化粧合板は、機械と材料があれば生産できます。 しかし、森工芸が培ってきた技術やノウハウは独自の方法で他にはありません。 美しい貼り方の製造プロセスを構築したことで、このトレイが完成しました。

 

-今後のビジョンをお聞かせください。

Rays Trayのプロモーションは始まったばかりですが、将来的にはRays Trayが徳島の名産品の一つとして認知されることを期待しています。

ツキ板というと、家具や木製建具の材料に過ぎず、一般的なものではありません。 しかし、このトレイを通じて、「ツキ板」が何であるかを知ってもらい、素材としての「ツキ板」や、私たちの独自性や高い技術に興味を持ってもらえれば嬉しいですね。

補足説明

藍染めの工程

藍の生産者は、それぞれ独自の技術で顔料を作り、藍を染めていますが、基本的な手順は同じです。藍の葉を挽いて乾燥させた後、水をかけて約3ヶ月間発酵させ、染色のベースとなる「すくも」と呼ばれる染料を作ります。しかし、この段階の色素はまだ水溶性ではないので、すくもに灰汁、貝殻石灰、小麦ふすまなどを混ぜて、さらに温度管理をしながら発酵さて染液を作ります。

このトレイを染めてくださっている藍染の工房では、自分たちで藍を栽培し、すくもを作り、さらに広葉樹の木灰も自分たちで作っています。

藍染のトレイは、藍で染める工程があるため、他のトレイよりも制作に時間がかかります。

長時間染料に浸す必要があるため、木の伸縮で問題が起こらないように、染める前に水に浸してツキ板の重なり具合を確認し、磨きをかけるなど入念な下準備を経て藍染をしています。